不自由さ故の自由。
Leica M Monochrom
COVID-19の流行が夏になって勢いを増したため、予定していた北海道ツーリングもキャンセルしてしまいました。どこかに行こうにも気が乗らず、近所で出かけようにも猛暑に耐えられず。結果、この夏休みは何をするでもなく家でダラダラと過ごしているだけになっています。
我ながらもったいない休みの過ごし方だなあと思う反面、何をするでもなく家でのんびり過ごす夏休みも意外と良いものだと思い始めています。まとまった休みがあると、そういう時にしか出来ないことをやらねばならない、みたいな強迫観念ってありませんか?COVID-19と猛暑で出掛けるにも不自由な反面、〇〇しなければならないみたいな思いから離れるというのは気持ちが自由になります。
カメラにも同じことが言えるのかもしれません。
自分の使っているM Monochromは、本当に不自由なカメラです。MF専用でモノクロしか撮れないのはもちろん、レンジファインダー専用なので寄ることも出来ず、フレーミングもしづらいです。
ただ、だからこそ、自分の中にもあるもっともっとという強迫観念や、少しでもウケる写真をという承認欲求などの自分を縛る感情から自由になれるカメラでもあります。
ライカでは修理用CCDセンサーの供給終了もアナウンスされ、もし今のM Monochromが壊れたらまたMonochromを買うかどうかは分かりません。それでも、この自由さを知ることが出来たのはM Monochromだからこそ、と思っています。
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